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-三島由紀夫-

現代の死とは 三島由紀夫

以下は、1970年代初頭の、NHKの三島由紀夫のインタビューである。


今の青年にはそれはスリルを求めることもありましょう。

あるいは、いつ死ぬかという恐怖もないではないでしょうが、

死が生の前提になっているという緊張した状態にはない。


え~、そういうことで、

仕事をやっています時に、え~、なんか、

生の倦怠と言いますか、

ただ人間が自分のために生きようということだけには
いやしいものを感じてくるのは
当然だと思うのであります。

人間の生命というのは不思議なもので、
自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないんです。

というのは、人間はなんか理想なり、え~、なにかの為ということを考えているので、
生きるのも、自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。

すると、死ぬのも何かのためということが必ず出てくる。

それが昔言われた大義というものです。

そして、大義のために死ぬということが人間のもっとも華々しい、
あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられてきた。

しかし、今は大義がない。

これは民主主義の政治形態というものは大義なんてものはいらない政治形態なので当前なんですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になるというような心理状態がないわけではない。


30年以上も昔に言われたこのセリフ。

無感情、生きることだけを考えている今の世の中、
結果として、今の世、生きていることすら無意味になっている人は多い。

生きるも死ぬも、何かの為。
それが大義というもの。

君の大義は何なんだろう?

マル 2008.5.6



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